最近、紋章学とかイコンとかヒエログラフィカなどの言葉のつながりで、図像学(ズゾウガク)というのに興味を持ったのですが、図像学ついて書かれている専門書はどれも難しく、脳が受け付けませんでした。そんな時、帝都物語の著者/荒俣宏先生の(最近は「へぇ~」ボタンを押しているのを見かけますが)「図像学入門」を見つけました。
僕のレベルの低い解釈でいくと、図像学というのは西洋絵画の見方といえます。(ホントは人間の描いたもの、絵・図形・象形文字なんかも入る広義な学問のようですが・・)で、荒俣氏によると、人が絵を観るのには3通りあるそうです。※ネーミングは荒俣氏によるものです
①「バカの見方」・・・見たものを見たままに。例えば日の丸、日本の国旗ですが、バカの見方では「白い四角の中に赤い円」でそれ以上のことは無く強力です。初めて漫画を見る人が、画と文字があるのは判るでしょうが、読み方が解らないというのも、そんな感じでしょう。要するに、それを見るのに必要な知識が足りないのです。
②「ボケの見方」・・・ほとんどの人がこの見方をします。遠近法で描かれていれば、平面なのに奥行きがあると錯覚したり、人物の近くにフキダシがあればキャラがしゃべっていると思ったりすることです。つまり、絵や漫画を描いた人が意図したことを理解して観てくれるということです。
③「パーの見方」・・・万人に一人しかいない、抽象画を描けちゃう人のような見方です。つまり描いた人が意図しない見方、プラスアルファというかマイナスアルファの知識を付け加えて観るようです。例えばキャラに集中線が引かれていれば、そのキャラがこちらに向かってくると観ますが、パーの見方では「キャラが遠ざかっている」と主張するのです。なぜなら集中線はそのままに、キャラを後ろ姿にすれば違う見方になるのだから、前を向いたキャラが遠ざかってもよいとなるのでしょう。よくワカリマセンが・・・
で、西洋絵画の見方ですが、特に有名でない中世の絵画で、リアルだけど遠近法が変だったり、単調な人物画や静物画は、実はバカの見方をしてしまっている。それは描いてあるモノに図像としての意味がある。例えば、花瓶にいくつかの花が活けてある静物画は、花瓶がその人の人生で、花は人生の華つまり色恋で、花の種類が感情を表しているそうな。そう、花言葉はここからきているそうです。そういった図像がルネサンスでもてはやされ、その元になった図像集が「ヒエログラフィカ」だそうです。
さて、飽きたので演習問題です。この絵は「ボケの見方」ができれば図像学的に深い意味があるハズです、考えてみましょう。間違っても、ヒエログラフィカだけにエロいな!とか思ってはいけません、それではバカの見方です。
図像学入門―目玉の思想と美学
・僕が読んだ「図像学入門」はアマゾンに登録がないですが、同じタイトル同じ著者で後年に出版された「図像学入門」です。図像学事典―リーパとその系譜
・重版されず、もはや入手の難しい、おそらく日本語で唯一の図像学の事典です。